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人生朝露

人生朝露

兼好法師と荘子。

荘子です。
荘子です。

吉田兼好(1283~1352)。
今日は、サボっていた兼好法師と荘子です。

参照:Wikipedia 吉田兼好
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9C%E9%83%A8%E5%85%BC%E5%A5%BD


徒然草。
『徒然草』は、説明するまでもない日本の名随筆ですが、日本における老荘思想を眺める際にも、うってつけの書物だと思います。著者の兼好法師は、鎌倉末期の文人で、六位蔵人の地位まで昇った後、出家して遁世。著作としての『徒然草』も、彼の死後百年は日の目を見ることはなく、人口に膾炙するようになったのは江戸時代以降のようです。

徒然草の跋文にこうあります。

≪這両帖、吉田兼好法師、燕居之日、徒然向暮、染筆写情者也。頃、泉南亡羊処士、箕踞洛之草廬、而談李老之虚無、説荘生之自然。且、以晦日、対二三子、戯講焉。加之、後将書以命於工、鏤於梓、而付夫二三子矣。越、句読・清濁以下、俾予糾之。予、坐好其志、忘其醜、卒加校訂而己。復、恐有其遺逸也。慶長癸丑仲秋日黄門 光広≫
→この上下巻は、吉田兼好法師が、暇のある夕暮れ時に、何の気なしに筆を染めて思うところをしたためたものです。近年、和泉の国の南の亡羊処士が、草庵にて両足をだらんと伸ばしながら、老子の虚無を談じ、荘子の自然について説いておりました。ある晦日の日に、戯れに弟子の二三人に徒然草についても講じたのをきっかけに、それにとどまらずに、徒然草を書写して職工に梓の版木を刻ませ、その弟子に与えることとなりました。そこで、句読点や清音濁音の訂正などの話が来たので、私はその試みに応じ、恥を忘れて楽しんで校正をしたのみです。また、取りこぼしがないことを恐れる次第であります。
 慶長十八(1613)年八月十五日中納言 光広

・・・なんか脱力系(笑)。

現在もっとも流布している『徒然草』は、江戸初期の茶人であり漢学者・三宅亡羊によって発行されたものとあります。三宅亡羊という人物の名前からして、おそらく『荘子』の「読書亡羊」の成語(ちなみに「多岐亡羊」は列子)になぞらえたものでしょう。兼好法師がこの世を去ってから、ゆうに、二百五十年の歳月を経たころの記録ですが、老荘思想に近い人物の手によって世に広まったことが分かります。

『徒然草』で、『老子』や『荘子』について書いているのは第十三段。
兼好法師((1283~1352)。
「ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
文は、文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。(『徒然草』第十三段)」
→ 燈火の下で一人、書物を広げて知らない世界の人を友とするのは、この上もない安らぎだ。文では『文選』の感銘深い巻々、『白氏文集』、『老子』、『荘子』。日本の博士たちが書いたものでも、古いものであれば深みのあるものが多い。

『文選』は南北朝時代の梁の武帝の長子・昭明太子(「あきらめんたいこ」で変換する人は勝ち組)蕭統の編纂による漢詩集、『白氏文集』は白楽天の詩集で、平安時代から続く日本の文人の基礎教養に数えられます。日本文学の萌芽を促した書物で、『源氏物語』『枕草子』にも登場します。『白氏文集』は『方丈記』にもその影響がみられます。で、兼好法師のいう「南華」というのが『荘子』のことです。

参照:Wikipedia 文選
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E9%81%B8_(%E6%9B%B8%E7%89%A9)

Wikipedia 白楽天
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%A5%BD%E5%A4%A9

『徒然草』の第七段、第三十八段、第九十七段には『荘子』の引用が明白に見られます。
兼好法師((1283~1352)。
「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
 命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。
 そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出ヰで交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、さかゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。(『徒然草』第七段)」

荘子 Zhuangzi。
『蜩與學鳩笑之曰「我決起而飛、槍?、枋、時則不至而控於地而已矣、奚以之九萬里而南為」適莽蒼者三?而反、腹猶果然、適百里者宿春糧、適千里者三月聚糧。之二蟲又何知。小知不及大知、小年不及大年。奚以知其然也。朝菌不知晦朔、?蛄不知春秋、此小年也。楚之南有冥靈者、以五百歳為春、五百歳為秋。上古有大椿者、以八千歳為春、八千歳為秋。而彭祖乃今以久特聞、衆人匹之、不亦悲乎。(『荘子』逍遥遊 第一)』
→鵬が飛び立つ姿をみながらヒグラシとハトが笑ってこう言った。「おれたちはニレやマユミの木の間を飛べれば充分だし、たまにおっこちたりもしているけど、あの鳥は九万里の先を目指そうとしている、なんてバカなマネをしているんだろう。」
野原に出かけるくらいなら、三食も携えれば満腹でいられるだろう。百里の先を旅するならば一日中米を搗いて食べ物を用意する必要があり、千里の旅をする人は、三月の間食料の用意に走り回るものだ。ヒグラシやハトに、大鵬の飛翔の意味は分からない。小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばない。
何を以ってそのありさまを知るのだろうか?朝の間しか生えないキノコは、夜の存在を知らず、夏の間に命を落とす蝉は、春と秋の存在を知らない。これが小さな歳月だ。楚の国の南に霊木があり、この木は五百年を春とし、五百年を秋とするという。太古の昔には、大椿という木があって、八千年を春とし、八千年を秋としたという。世の中では伝説の中にある八百歳の長寿を保った彭祖(ほうそ)にあやかって長生きしたいという人がいるが、悲しむべきことではないか。

・・・その昔「ゾウの時間、ネズミの時間」という本が流行りましたが、『荘子』の冒頭、逍遥遊篇では、時間と空間の概念を、大鵬と鳩、キノコや蝉と人、大樹と人によって対置させ、人の位置を示そうとします。『徒然草』の第七段では時間のみですが、荘子の影響がまざまざと見えます。

ちなみに、「かげろふの夕べを待ち」というのは、『淮南子』にあります。
『淮南子』
「鶴寿千歳、以極其遊。而蜉蝣朝生暮死。而尽其楽。(『淮南子』説林訓)」
→鶴は千年の寿命があり、以てその遊を極める。蜉蝣(かげろう)は朝に生まれて、その日の暮れに死んでしまうが、(短いながらも)その一生を楽しみ尽くす。

「かげろう」という時に、「陽炎」と書くならば龍樹のことばにもあるので仏教と呼べますが、「蜉蝣」と書くならば、どちらかというと道教の言葉と取るべきものです。「世は定めなきこそいみじけれ」とある場合に、「仏教的無常観」なるもので説明したがりますが、文章の流れからいえば、「人間万事塞翁が馬」の方が自然です。(ちなみに、これは「鶴は千年、亀は万年」の元ネタでもあります。)

「命長ければ辱多し」も『荘子』です。
荘子 Zhuangzi。
『堯曰:「多男子則多懼、富則多事、壽則多辱。是三者、非所以養徳也、故辭。」』(『荘子』天地 第十二)
→堯曰く「多くの男子に恵まれれば心配事が増え、財産に恵まれればもめ事が増え、長く生きれば恥ずかしい思い出が増えるばかり。この三者は徳を養うものでないが故、私は固辞いたします。」

「そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく」というのも、『荘子』です。
荘子 Zhuangzi。
『一受其成形、不亡以待盡。與物相刃相靡、其行盡如馳、而莫之能止、不亦悲乎!終身役役而不見其成功、苶然疲役而不知其所歸、可不哀邪!人謂之不死、奚益?其形化、其心與之然、可不謂大哀乎?人之生也、固若是芒乎其我獨芒、而人亦有不芒者乎?』(『荘子』斉物論 第二)。
→ひとたび人として形を授かったならば、それを損なうことなく命数が尽きるのを待つのみだ。外物と争い、磨り減らすようでは、その行いはあくせくと駆け足で、立ち止まることすらできなくなる。悲しむべきことだな。死ぬまでせかせかと動き続け、求めていたはずの成功すら目にできず、泥のように疲れていて、帰るべき場所すらない。哀れむべきことだ。他人から「あなたは生きているよ」と言われても、何の価値があろう。人の形が変わり、心もこのありように従う。大哀とも言うべきものだ。人間の生というのもは、もともとここまで暗いものなのだろうか?それとも私だけが暗くて、人の生に暗くないものがあるのだろうか?

荘子 Zhuangzi。
『予惡乎知説生之非惑邪。予惡乎知惡死之非弱喪而不知歸者邪。』(「荘子」斉物論第二) 
→生きることだけを喜びとするようなことを、私は人の迷いではないと言うことができない。逆に、人間が死を憎んでばかりいるのは、旅人が故郷に帰ることを忘れるということに似てはいまいか?

そもそも、なんですが、
兼好法師((1283~1352)。
「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯(すずり)に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂(ものぐる)ほしけれ。(『徒然草』序段)」

荘子 Zhuangzi。
『予嘗為女妄言之、女以妄聽之』(『荘子』斉物論 第二)
→「試しに私が妄言を吐いてみよう。あなたもそのつもりで妄聴してほしい。」

語りだしから、荘子っぽいんです。

また続きます。

今日はこの辺で。


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